思い出・・・・。
八月に入りますと新聞やTV、雑誌などのメディアによって
広島、長崎への原爆投下や終戦についての記事や特集番
組が毎年多数出てきますね。そして四日後、八月六日は広
島の原爆記念日です。もう二十年位も前のことですが、私は
朗読の勉強会に参加しておりました。詩や物語、いろんな作
品をお稽古しました。指導して下さったのは劇団民芸の演出
家渾大防先生。その指導のもと色々な作品を稽古した後、
舞台で朗読をすることになりました。
私に与えられた台本は茨木のり子さんの詩、「ヒロシマという
とき」でした。茨木のり子さんの詩といえば、「わたしが一番きれ
いだったとき」が大変有名ですが。当時私は「ヒロシマ・・・」の詩
は知りませんでした。読んでみてその重いテーマ、インパクトの
ある言葉達に、私はたじろぎました。{この詩を私が舞台で朗読
するのは荷が重い!今の私の朗読力では・・・・・。}少し稽古に入
ったところで、渾大防先生に違う詩に替えて欲しいと願い出ました
があっさりと却下され、「貴女が読まなくてはだめ、心のボルテー
ジを上げて、テンション高く朗読しなさい!」と厳しく叱咤激励され
ました。本番の日は未だかつて無いほど緊張しましたが、この詩
に出会えたこと、この詩を舞台で朗読できたことは私にとってかけ
がえのない財産になったと思います。そして終わったあとには大き
な達成感を味わうことが出来ました。
「ヒロシマというとき」 茨木のり子
<ヒロシマ>というとき
<ああヒロシマ>と
やさしくこたえてくれるだろうか
<ヒロシマ>といえば<パールハーバー>
<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>
<ヒロシマ>といえば女や子どもを
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
<ヒロシマ>といえば
血と炎のこだまが返って来るのだ
<ヒロシマ>といえば
アジアの国々の死者たちや無辜の民が
いっせいにおかされたものの怒りを
噴き出すのだ
<ヒロシマ>といえば
<ああヒロシマ>と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器をほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
わたしたちは潜在する放射能に
灼かれるバリアだ
全文を書くわけにはいきませんので途中までで終わりに
しますが、興味をもたれた方はぜひ、茨木のり子さんの詩集を
この夏、手にしてみて下さいませ。
三味線をひくこと、小唄を唄うことにのみ留まらずいろんな事に
興味をもち、挑戦し、視野をひろげ、感性を豊かにできるよう、
日々努力を重ねていきたいですね。
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