小唄 『夕霧』のご紹介。
慌ただしい師走に心を静めて唄いたい小唄を一つ・・・。
『夕霧』
編笠に包む紙衣の文字の綾 師走の風のしみじみと
可愛い男に逢坂の 関より辛い世の習い
逢わずに去んではこの胸が 済まぬ心の置炬燵
粋な取持ちようようと 明けりゃ女夫の松飾り。
この『夕霧』は歌舞伎小唄の一つで、『廓文章』世話物歌舞伎の「吉田屋」
に依ったもので、江戸の舞台に上がったのは文政十年九月市村座である。
延宝五年の師走も押しつまって、浪花新町九軒町の揚屋吉田屋では、丁度
廓の餅つき日で阿波の平大尽が、一同に祝儀を振る舞っている。
そこへ扇屋の夕霧と馴染みを重ねて大尽遊びを尽くした挙句、親には勘当
され、七百貫匁の借金を背負った藤屋伊左衛門が、深編笠に紙衣という、尾羽
打ち枯らした姿で門口に立ち、「喜左衛門宿にか」と聞く。
若い者が高箒を持って打ちかかるのを、吉田屋の亭主喜左衛門が笠の内をのぞ
いて「伊左衛門様か、夢か現か久しや」と奥の間に案内する。
聞けば、二人の間に子までなした仲の夕霧は、この頃阿波の平大尽と深くなり、
今日も病身の身を隣座敷で阿波の大尽と逢っているというので、伊左衛門は怒っ
て「万歳傾城」と罵るが、吉田屋主人夫婦の取持ちで、夕霧との嬉しい逢瀬、そ
こへ藤屋の親御妙順からの使いで、勘当が許され、夕霧の身代金八百両がとどく
ので、二人は親の慈悲に泣き、一足先に楽しい春を迎える。
小唄では「編笠に~しみじみ」までは繭玉を飾って正月の支度のできた吉田屋
の奥座敷に通され、置炬燵に入った伊左衛門が喜左衛門夫婦の志を喜び、変わ
り果てた我が身をしみじみと振り返るところ。
「可愛い男~世の習い」までは、奥の部屋から聞こえる夕霧の三味線の音に、地
唄は「憂しと見し、流れの昔懐かしや、可愛い男に逢坂の関より辛い世の習い。
思わぬ人にせきとめられて、今は野沢の一つ水」・・・去年の月見に奥座敷で夕
霧と連弾きした「相の山」である。その夕霧は今宵は阿波の大尽と同じ唄を弾き
、変ったは己の身の上。
いかさま恋も誠も世にある時、人の心は変わる勤めの習い、夕霧とは逢わずにい
っそ去んでくりょうかと、伊左衛門がこの唄を聞きながら、とつおいつする所。
「逢わずに~置炬燵」までは、二人の間に子までなした夕霧を、みすみすこの
まま阿波の大尽に渡してどうなろう。逢わずに去んではこの胸の、口惜しさが治
まらぬと、また思い返して障子から奥座敷を覗きみる所で、芝居では、紙衣姿の
伊左衛門が、置炬燵に入ったり出たり、腹立ちまぎれに床の三味線を引き寄せた
り、夕霧を待つ間に、逢えばこうして、どうしてと、極めて滑稽な演技があるが
、これが上方の和事の伝統で、二枚目は三枚目に通ずるという藤十郎の演劇観で
ある。「粋な取持ち」以下は、喜左衛門夫婦の、粋な計らいで、夕霧が現れる所
。
芝居では、「無慙やな夕霧は、流れの昔懐かしく、飛び立つ心奥の間の、首尾は
朽ちせぬ縁と縁、胸と心の相の山、間の襖具合よく、明け暮れ恋しい夫の顔、見
るに嬉しく走り寄り、我が身を共に襠禰(うちかけ)に、引まとい寄せんと寝て、
抱きしめ締め寄せ泣きけるが。」という所で、恋患いにやつれた病鉢巻の夕霧と、
昔に残る鷹揚さと気品とをとどめている伊左衛門との色模様は、元禄時代の傾城
事の雰囲気を今に伝えている。
編笠・・・大抵は夏かぶるものであるが、それを冬もつけてるのは、うらぶれ
て人目を忍ぶ身である。うらぶれしは落ちぶれること。
紙衣・・・紙子。厚紙に柿渋を塗って造った衣服。貧しい人が着る。
(芝居小唄 木村菊太郎著より引用)
如何でしょうか。ちょっと長くなりましたが、小唄のうたっているシーンが良く
わかっていただけたと思います。
主人公になりきって「逢わずに去んでは~」と唄ってみたいですね。
せわしない師走にこんな芝居小唄を口ずさむのも粋ですね。