鈴木真砂女の俳句に魅せられて。
夏帯や 運切りひらき 切りひらき
私は今、鈴木真砂女の俳句に魅了されています。
烈しく、思い切りよく生きた波乱万丈な彼女の人生をひしひしと感じさせる俳句には読む者の胸に迫るパッションがあります。
明治39年に旅館吉田屋の三女に生まれる。5歳で母が死去。翌年に義母を迎える。
23歳で結婚、26歳で長女可久子を出産。29歳の時に夫が突然失踪し、娘を残し実家に戻される。
その年の暮れに婿を取って実家の旅館を継いだ長姉が急逝。
翌年父母の説得により一回り違う義兄と再婚し、30歳で吉田屋の女将となる。
既に真砂女のここまでの人生もかなり大変なものですがここから更にドラマチックな女の人生が展開されていき、彼女ならではの俳句が生み出されていくんですね。
そして翌年31歳の真砂女は7歳年下の館山海軍航空隊の士官M氏と思いを交わし始める。翌年、M氏が長崎県に転属すると鞄一つ持って会いに行く。
しかしこの時は真砂女は吉田屋に戻り、娘の可久子と一緒に暮らすようになる。
真砂女45歳の時に夫が脳溢血で倒れる。49歳の時には吉田屋全焼。
この頃の俳句
瞳に燃えず心に燃えて青き踏む
空蝉やこの身ひとつに苦を集め
真砂女50歳、火災より一年後には吉田屋は再建されて営業再開する。そしてこの間も療養中のM氏を見舞う真砂女・・・。
この年の俳句には
すみれ野に罪あるごとく来て二人
髪解くや情に溺れし秋の髪
翌年真砂女51歳、「裸で家を出るか、夫の看病をするか」の選択を迫られて突然家を出る。
可久子の在籍する文学座の寮に身を寄せる。
作家丹羽文雄、大和運輸の社長、次姉の夫の弁護士、酒屋の女将の四人から無利子無期限で資金を借りて銀座に小料理屋「卯波」を開店する。
この年の俳句が「夏帯や運切りひらき切りひらき」です。昭和32年という時代に51歳で新しい人生を始めた真砂女の思い切りが滲み出る句ですね。
もう一つこの年の俳句を
大輪の菊の首の座刎ねたしや
この刎ねるは罪人の首を斬るということを表している言葉で、真砂女の胸の内を感じさせられます。
真砂女64歳の時には娘の奔走で35年前に失踪した夫と再開するが、その後二度と会うことはない。
吹雪く夜や甦るもの過去ばかり
天の川こころ乾けば髪洗ひ
翌年二度目の夫、死去、真砂女65歳。
火蛾舞ふか生涯死者に見つめられ
夜光虫一人泣くとき声洩らし
真砂女70歳、40年間心を通わせてきたM氏が脳溢血で倒れるが、見舞い叶わず・・・。
かくれ喪にあやめは花を落としけり
真砂女の波乱に満ちた人生を支えたのは俳句であり、また真砂女の秀逸な俳句創作を支えたのはその波瀾万丈の人生だったと思います。
芝恋が好きな句は
夏帯を解くや心の帯も解き
冬薔薇の刺にさされし血は甘し
風鈴のわがつぶやきにこたへけり