小唄「吾が背子の」のご紹介。
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小唄「吾が背子の」のご紹介。

2020年11月23日(月)5:40 PM

    「吾が背子の」  作詞 遠藤為春・作曲 五世清元延寿太夫

 

 吾が背子の 来べき宵なり ささがにの

  糸の千筋の色冴えて 香りも高き白梅の

   枝ぶり写す一筆は 家に譲りの変化隈。

 

 『新古演劇十種の内・土蜘蛛』明治十四年新暦六月、河竹黙阿弥作。

謡曲『土蜘蛛』より、五世菊五郎が音羽屋の家に伝わる「蜘絲」を能仕立に

改作して上演。

 頼光が蜘蛛の精を退治するという物語は『太平記』の「剣巻」が原拠で、

謡曲に『土蜘蛛』があり、歌舞伎でも種々の外題で演ぜられ、今日残ってい

るものは、『来宵蜘蛛絲』(天保十八年十一月、中村座)から生まれた『蜘絲

宿直噺』がある。

 小唄「吾が背子の」は、五世菊五郎の土蜘を誉めて唄ったもので、「香り

高き白梅の、枝ぶり写す一筆」は、三世梅寿菊五郎の当り芸を譲りうけての

意味で、「家に譲りの」は音羽家の家の芸の意味である。

 「吾が背子の」は、衣通姫の歌を引用したものである。衣通姫は允恭天皇

の御妃で和歌の名人といわれている。

 ささがに・・・蜘蛛の事。蜘蛛の枕言葉。

 絲の千筋の色冴えて・・・舞台で蜘蛛の糸をかける手際の鮮やかなこと。

 変化隈・・・土蜘蛛の精のような妖怪変化の顔の隈取りをいう。

(「芝居小唄」木村菊太郎著より引用)

 

 如何でしょうか?謡曲から歌舞伎へ、そしてその演者を称えた小唄へと、

繋がっていくんですね・・・。

こういう背景が分かって聞いたり唄うと、より一層面白く楽しいですね。

 



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