『色彩間苅豆 かさね』を唄った小唄。
前々回のブログでご紹介した歌舞伎『色彩間苅豆 かさね』のあらすじを
簡単にご紹介させていただきます。
下総国羽生村。以前は久保田金五郎という侍であったが、百姓助の女房の
菊と深い仲となり。、それを知った夫の助を手に掛け、百姓に身をやつして
いる与右衛門。その行方を、捕手の沢田と飯沼が追っている。
与右衛門は、同じ家中の腰元のかさねと不義密通の罪を犯し、心中する約
束をしたが出奔し、故郷の羽生村に戻っていた。
にわか雨の降りしきる木下川堤にやって来たのは与右衛門とそれを追うか
さね。一緒に死んで欲しいとかき口説くかさねに対し、御家のためと、与右
衛門は拒絶するが、かさねが与右衛門の子を身ごもったと打ち明けると、よ
うやく心中を決意する。
そこへ「妙林信士 俗名助」と記された卒塔婆と錆びた草刈り鎌が刺さっ
た髑髏が流れて来る。これに気付いた与右衛門が、恐れ慄いて卒塔婆を折り
髑髏を割った途端、かさねは苦しみだす。そこへ捕手が現れ与右衛門を捕え
ようとする内、与右衛門の罪や詮議に関する書状を落として行く。
一方、かさねの顔は左目が潰れ、赤く爛れて醜く変わり果てており、さら
には片足も利かなくなった様子。
それは与右衛門が手に掛けた際の助と同じ有様であった。実はかさねは助
と菊の娘だったのだ。身の因果の恐ろしさを痛感した与右衛門は、かさねに
斬りかかり、醜く変わり果てたその面相を鏡で見せつけると、二人の因果話
を語った挙句、とどめをさして足早にその場を立ち去ろうとする。しかし、
かさねの恨みは深く、怨霊と化して与右衛門を引き戻すと、凄まじい形相で睨
みつけるのであった。
この歌舞伎を唄った小唄は数曲ありますので、その中から二曲ご紹介させてい
ただきます。
「からかさの」 明治期の作
からかさの 骨はばらばら 紙や破れても
離れ 離れまいぞえ あの千鳥掛け。
骨はばらばらになっても、与右衛門から離れまいとする、かさねの哀れな
恋心を唄ったもの。
千鳥掛けとは傘の骨を合わせて綴った糸のかけ方である。
(「芝居小唄」木村菊太郎著より引用)
この小唄は二上りで演奏する曲ですが、一種独特なリズムでとても印象的
な小唄であると思います。
「夜や更けて」 市川三升作・草紙庵曲
夜や更けて 互いに忍ぶ木下川に 流れて迷う恋の闇
仇と情けの渦巻に 八重撫子の狂い咲き
そよぐ柳の葉隠れに 光る利鎌の 月凄し。
かさねの顔がはっと醜く変わるので、与右衛門がびっくりして立ち退く
裾に、かさねがしっかりと取りついて(自分の顔が変わったのを露知らず
)、「捨てて行くとは胴欲な、ほかに楽しみあればこそ、私を騙して胴欲
な」と、嫉妬のくどきのグロテスクなうちの哀感、悪女の深情けといった
執念を、小唄は「八重撫子の狂い咲き」と唄っている。
利鎌とは、切れ味のよい鎌。 利鎌の月は利鎌の様な形をした下弦の月。
(「芝居小唄」木村菊太郎著より引用)
小唄というと、お座敷で芸者衆が三味線を弾いて唄う「梅は咲いたか」
などの明るく華やかな浮かれ唄とだけ思っている方が結構多いのですが
小唄にはこの様な芝居小唄、結婚式などで唄われる御祝儀唄、粋で威勢の
良い祭り唄など色々な小唄があります。
小唄を知らない方は、小唄=芸者、小唄=お座敷遊びなどの偏見を持っ
ている場合が多いので、このブログを読んで頂きそうではないことをご理
解して頂けたら幸いです。
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