小唄「いつしかに」のご紹介。
今回は小唄「いつしかに」のご紹介と簡単な説明です。
「いつしかに」
いつしかに 縁は深川馴れ染めて 堰けば逢いたし 逢えばまた
浮名立つかや遣瀬なや それが苦界じゃないかいな
兎角浮世は色と酒 浮名立つともままの皮
浮いた世界じゃないかいな。
この小唄は本調子で、季はありません。
文久二年十一月十四日、吉原に大火があって全焼し、深川に仮宅が設けられ
ました。(安政二年にも地震による大火で吉原が全焼し、深川に仮宅が設けられ
た。) 小唄の意味は、深川の仮宅の遊女が、好いた男との仲を楼主に堰かれて、
苦界のやるせなさを嘆く所を唄ったもので、「いつしかに縁は深川」は、始めは通
り一遍のお客と思ってつき合っているうちに、いつしか深い縁となって、という遊
女の述懐で、深い縁と深川をかけたもの。
「浮名立つ」は二人の仲が、廓の評判になることを言ったものである。
「兎角浮世」以下は、妓が想い返して、ままよままよの皮、この世を「憂き世」と思わ
ず「浮き世」と考え、浮名立つとも堰かれた眼を盗んでも、惚れた男との逢瀬の首尾
を作ろう、と心に決める所で、ここはは囃詞として賑やかに唄ってよいと思う。
「ままの皮」は「ままよ、どうにでもなれ」といった、自棄気味の時に発する言葉で、
之を「川」にかけ「浮いた世界」と運んでいる。
芝居との関係は故中村吉右衛門によって、「八幡祭小望月賑」ハチマンマツリヨミヤノニギ
ワイ(通称「縮屋新助」 世話物。万延元年七月市村座初演、河竹黙阿弥作。)の「仲町
尾花屋の場」に下座唄として使われ、深川情緒をたっぷりと盛り上げている。
(小唄鑑賞より引用)
堰かれるは、止められるの意。
後半の「兎角浮世は~」からが調子よくて、粋な江戸小唄の感じが味わえて、芝恋の
好きな小唄のひとつです。