小唄「いざさらば」のご紹介。
「いざさらば」
いざさらば 雪見に転ぶところまで
連れて行こうの向島
梅若かけて屋根船に
浮いた世界じゃないかいな。
明治中期に作られた江戸小唄である。
いざ行む雪見にころぶところまで (芭蕉)
の俳句を唄い出しに据えているが、この句は貞享四年十二月三日
名古屋における吟と「笈の小文」にあり、「曠野」には「いざ行
かん」と見えている。ところが江戸っ子は、この句を芭蕉が向島
で作ったと考え、「夕立や」と同様自慢して、その句碑を向島の
長命寺境内に建てた所が面白い。
「雪見」とは、上古初雪の際の祭事として、宮中で宴を催した
ことに始まるが、中世以降は雪景色そのものを鑑賞する風流事と
変った。特に江戸時代になると、大町人達がかねに飽かして贅沢
な雪見の宴を催したりしたことがきっかけになって、この遊びは
貴族の手を離れて民衆の間に広まったが、しかし花見や月見など
の大衆性は持つに至らなかった。
当時の三都には、必ず近郊に雪見の名所がいくつかあり、料理
屋や豪商の別荘、寮などが建てられていた。
小唄は、明治中期の粋な雪見船を唄ったもので、柳橋から漕ぎ
出した屋根船は、障子を閉めきり、二人差向いで、雪の隅田川を
上手(向島)をめざして遡る。
船の中には炬燵が入って、熱燗で盃を交わしていることであろう。
「雪見に転ぶ所まで」の句をこの小唄に引用していることは、
「雪見に転ぶ所までゆくを覚悟で逢っている」ことを匂わせたも
ので、「梅若かけて」の梅若は、向島で梅若をまつった木母寺の
ことである。
「浮いた世界」は通人の言葉で、浮いた世の中ということで、
これを船にかけて結んだものである。
「小唄鑑賞」木村菊太郎著より引用
さて、大変長い解説文になりましたが、こんなに短い歌詞にこ
の様な意味や経緯があるんですね。
これを知らずに唄うのはとてももったいないですね。
芭蕉の句にも触れたり、また雪見が元々は宮中祭事から始まっ
ているとか、歴史の勉強にもなります。この奥深さが小唄の魅力
じゃないでしょうか。