小唄「一声は月」のご紹介。
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小唄「一声は月」のご紹介。

2015年10月07日(水)9:16 AM

         「一声は月」

 

 一声は月が啼いたか時鳥

  いつしか白む短夜に

   まだ寝もやらぬ手枕や

     男心はむごらしい 女心はそうじゃない

      片時逢わねばくよくよと

       愚痴なようだが 泣いているわいな。

 

 この小唄は安政四年五月、江戸市村座「時鳥酒杉本」(ほととぎすさけはすぎもと)

《お梅 粂之助》上演の時作られた江戸小唄である。

 お梅粂之助の心中は江戸前期の宝永三年六月のことと伝えられるが、同五年四月

近松門左衛門「心中万年草」(通称高野心中)が竹本座人形浄瑠璃に上演され、同七

年京夷座「高野心中」によって芝居に取り入れられた。

 物語の筋は女人禁制の高野山の寺小姓成田粂之助は、師の眼をぬすんで三年前

より麓の紙商雑賀屋の娘お梅と深い契りを交わすが、お梅には持参金つきの婿が決

まっていて、俄かに今宵祝言と決められる。お梅は人に頼んで粂之助に文を届けるが

文は誤って法印の手に渡り、粂之助は「女犯」の罪に問われ、下僧下僕に打擲されて

山を追われる。最早この世で添うことのできない二人は、その夜祝言の席を抜け出た

お梅と手をとりあって、高野山の女人堂のほとりで心中する。時に男は十九、女は十七

であった。

 この唄はお梅が松賀屋の寝間で、粂之助を想うて寝もやらず、夏の夜を明かす切な

い女心を唄ったもの。

「一声は月が啼いたか時鳥」は、

    さてはあの月が啼いたか時鳥(一三子)の名句から採ったもの。

 一晩中寝もやらぬ耳に、時鳥の啼きを聞く。はっと思って障子を開け、今聞いた時鳥

はどこかとみれば、声はすれども姿は見えず、ただ有明の月だけが残っているという情

緒を唄ったもので、百人一首にある、

   時鳥鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる。(藤原実定)

と同一の情景を捉えたものである。

 「手枕」はここでは手を枕にしてうたた寝をすることで、「まだ寝もやらぬ手枕や」は

地唄「沖の石」の一節にある。

 また「男心は~泣いているわいな。」は、河東節の「濡扇」からとったもので、ここの

手附けは河東節で、ここがこの唄のヤマとなっている。(江戸小唄 木村菊太郎より引用)

 秋の夜に月を眺めながら、「お梅粂之助」の物語を想いこの小唄を口ずさんでみては如何

でしょうか。しっとりとした情緒に浸って、静かに秋の夜長を過ごすのも素敵ですね。


 



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